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Lou Reed : Interview 1989

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1989年 「ニュー・ヨーク」発表時

・今度の新作「ニューヨーク」にはあちらこちらに思わず笑ってしまうようなユーモラスなフレーズも見かけるんですが、実際に自分で書いてても、そういうくだりに来て笑っちゃうようなことはありませんでした?

ルー「うーん、実を言うと俺は自分の歌詞を書きながら大笑いしちゃうんで有名なんだけれど、『ニューヨーク』を書いている間はテンションの高さを保とうとするのに懸命であまりそういう余裕はなかったね。とにかく言葉一つでさえも外したくなかったんだ。あれやこれやと歌詞を頭の中で練っていたものだから、いざ書き出していこうと思った時にはもう、頭の中が爆発しそうになっちゃてさ。俺は実際に書き出す前に頭の中でかなり推敲を重ねて行くタイプだからね、どうしてもそんなことになっちゃうんだな。でも、やっぱり一旦書き出したものをもう一度書き直してみる段階が一番、難しいね。そういうことだから、締切っていうのは俺のような人間に一番、役立つものなんだ。だから、俺は時間に迫られてないような時でも自分で適当に締切を設定して仕事をするんだ。まあ、とにかく君が、『ニューヨーク』の中にも可笑しなとこがあると言ってくれたんで救われたよ。というのは、ここのところどんなレビューを読んでも、延々と「怒り」についてしか書かれていなくて正直困ってたんだ。ちょっと待ってくれよォって感じだよね。あれは現実に世の中で起きている出来事をものの見事に再現した作品のわけだからね、ちゃんと丘しみに溢れた文脈も流れているんだよ。本当は聞き手がかなりバランスのとれた心理状態でそうした出来事と触れていけるような仕組みになったいるはずなんだ。」

・ええ、そう思います。このアルバムの歌詞は、怒りやメッセージ性云々と言う部分より、リアルなニューヨークの描写の方が印象的ですからね。

「そうなんだよね。ところで、この歌詞の内容に絡んで面白い話が一つあるんだよ。『ニューヨーク』をヨーロッパで出すにあったって俺は歌詞の対訳をつけてくれるようにワーナーに念を押したんだよね。作品を理解して貰う上で、絶対に必要だと思ったんだ。そしたらワーナーはこんな返事をしてきたんだよ。『イタリアで五曲、内容的に引っかかった。』と、だから俺も『じゃあ、対訳の中で問題のある箇所だけ空白にしておけばいいじゃないか』って答えるとさ、こう言うんだ、『部分的にどうこうって問題じゃないんだ』ってね。そこで俺は問い詰めたわけだ、『じゃあ、一体何なんだよ』って。それに対するワーナーの答えはこうだったんだぜ、『全てが問題なんだ。ああいう発想そのものがイタリアでは許されないんだ』ってさ。スゴイ、と思わない? 紀元後一九八九年なんだぜ、今は。発想そのものがいけない、ときた。さらにその後、イタリア側が英語の歌詞までもがだめだと言い始めるというおまけまでついてさ。「グッド・イーブニング・ミスター・ワルトハイム」、「バスいっぱいの運命」他三曲が問題になったんだ。しかもこれだけじゃ話は終わらないんだな。イタリアではさ、こういう内容の歌詞は訴訟の対象にさえなるって言うんだよ。つまり、法律があるんだよね。そういう法律が大見得を張って言い切れる人間が現にこの世の中に存在すると知るだけでも、俺は目ん玉が地面に落ちる思いだったよ。」

・(笑)ところで「クリスマス・イン・フェブリュアリー(前線でのクリスマス)」ではベトナム帰還兵について歌っていますね(邦題、「二月にクリスマス」は誤訳)。

「あれはね、街を歩きながら思い付いたんだ。一度、『俺はベトナム帰還兵でエイズを患っている』というサインを掲げている奴を街で見かけてさ。 その男とそのサインを見かけただけで、色々と考え込んじゃったわけだ。そりゃあね、その男が嘘をついていたってことも考えられるよ。でも、たとえ嘘だったとしても、あの男の訴えに強いリアリティーがあることには変わりないんだ。これってちょっと、悲しいことだよ。とにかく、ベトナム帰還兵の問題に関しては悲惨な状況が厳然としてあることは確かだね。」

・ だからと言って、アメリカが実際にベトナムで行ったことについて目をつぶるわけにもいきませんよね。

「そうさ。でもベトナムで行われたことの責任を全て帰還兵になすりつけてしまうのも可笑しな話じゃないか。とにかく俺はこの問題に関して非常に割り切れないものを抱え込んでいるんだよ。というのは、俺は昔、徴兵されたことがあって、それをうまいこと逃げおおせたからなんだ。自慢できるような話じゃないけどね、でも当時はそれなりに胸のすくような思いだったのも確かなんだよ。俺のような人間が軍隊なんかに入ったら、まあ、環境にまったく順応できなくなるだろう、なんてことは火を見るより明らかだからね。でも、そんなものは誰も彼もが口にしてた言い訳だし・・ とにかく俺の場合、大学を出たその日に召集令状が来て、そして他の誰もと同じようにうまく立ち回ったんだ。 でも、やっぱり、その時のことが未だに頭から離れないんだな。 とにかく、この問題には道徳的なジレンマがつきまとうというものなんだよ。まあ、ベトナムでの戦争は止めるべきだと考えていたことは確かさ。だけど朝鮮動乱の時にも同じ行動をとっただろうかと考えるとね、良く分からないんだ。ベトナム戦争っていうのは、自分の姿勢をはっきりさせるのが至極、楽な問題だったといえばいいのかな。少なくとも俺の知ってる人間に関してはそうだったといえるはずさ。それに、あの頃、うまく兵役から逃げたのは白人だけだと言う間違った認識が普及しているけど、あの戦争が嫌で兵役から逃げた黒人だってちゃんといるんだぜ。俺と昔一緒にやってた黒人ベーシストなんて世紀の大芝居をうって兵役から逃げたんだけど、これがまた、ちょっと信じられないような話でね。 つまり、奴は審査官に自分がろうあ者だと告げたんだ。だから奴は何度も何度も背後から突然、声を掛けられたり音を出されたりしたそうだよ。」

・よほどの決心があったんでしょうねえ。常に問題意識を持ってなきゃ、やり通せませんよ。

「うん、でもそれができればいつか道も見えるものだと思うな。それよりもね、俺が信じられないのは今の政府、特に去年までのレーガン政権だよ。自分を守る手段を持たない人々、特に女性、病人、老人、子供、こういう人々に対してこれほどまでに非情だった政府がかつてあったと思うかい? 結局、今の政府の仕組みじゃこういう人達が犠牲者に仕立てられるだけの話なんだ。こんな政府にね、帰還兵への対応をどうにかしろと要求するほうがおかしいのかもしれないな。テレビじゃ帰還兵の話題をよく取り沙汰してるよね。でも、いくらテレビで取り上げたとしても、多くの帰還兵達のねぐらが道端であることは全然、変わらないんだよ。そりゃあね。世の中に公平さを実現させるのは無理だなんてことは俺だって百も承知さ。でも実現されてないからと言って諦めちゃうこともないだろう? それだからこそ、政府に公平さを期待するのがあたり間えってもんじゃないか。それが全く期待できないわけだからね。 『ニューヨーク』のポイントはまあ、この辺にあるんだよ。今の社会はね、偽善的だなんていう生易しいものじゃないんだ。偽善に満ちていると言ったところで、誉め言葉にしかならないほど酷いものなんだよ。人間の最も暗い一面がシステムとなって自律的に動いている、それが今の社会なんだ」

・「ニューヨーク」の中では血を血で洗うような街の喧燥がよくえがかれてますよね。警官が市民を撃ったり、犯罪者が警官を撃ったり、とか。ところが、先日行われたアンディ・ウォーホールの追悼コンサートでは、あなたまでもが同じような「目には目を」と言う姿勢を見せたのが私にはショックだったんです。つまり、アンディ・ウォーホールを以前狙撃した犯人を自分の手で電気椅子にかけてやりたい、とあなた自身が歌ってた曲のことなんですが。

「うん、でもさ、俺は今、世の中で横行しているようなことが本当に耐えられないんだよ。誰かが他人をぶっ殺して七年半で保釈されるなんて、俺にはどうしてもが点が行かないんだ。どうしてもわからないねえ。アンディは撃たれた時、死ななかったけどさ、撃った張本人はわずか数ヶ月でシャバに戻ってきたんだぜ。数ヶ月だよ。人を撃っておいて、車の窃盗犯より早く釈放されたんだ。このアメリカという国はね、人間が担うべき道徳的な責任をあらゆるレベルにおいて、そして徹底的に放棄してしまった国なんだよ。俺は心の底からそう確信してるね。司法取引にしたって何にしたってそんな調子さ。刑務所に使う金は払いたくないからと言って国民はその分の税金を払おうとしない。それに自分の近所に刑務所を作るのも断固、拒否・・・ しょうがないから犯罪者は野放しさ。逮捕されたとしても、ブタ箱入りは長くない・・・」

・そういう考えのあなただと、死刑制度撤廃運動なんかはどう思っていますか。

「そういう連中の言い分はわからないでもないよ。何たってこの俺もアムネスティ・インターナショナルの会員なわけだからね。だけど、俺が死刑制度に反対するなら、それは一つの理由からだけだ。つまり、実際の死刑はむやみに黒人だけに施行されているから、という理由だ。だから逆に黒人にも白人にも死刑が平等に施行されるようになれば、別に俺は死刑制度に異論はないんだな。本当はね、それほど死刑にこだわっているわけじゃなくて、無期懲役でもいいと思うんだ。ただし、それは飽くまでも無期懲役が文字どうりの無期懲役として行われる場合においてのみ、そう思うんだぜ。ところが、そんな状況は現実には一つもない、ときた。誰かを拳銃で撃って、そいつを殺したり不具者にしても、六、七年で出所する御時世だ。ちょっと待ってくれ! って言いたいところだよな。法がお笑い種に過ぎないなんてことは今や誰もが痛感してるんだ。例えば誰かの顔のど真ん中に拳銃をぶっ放す、幸い被害者が命拾いしたとしよう。こういう場合、被害者は首から下はもう自由が利かないってケースがほとんどだよな。しかし、法的にはこれは殺人じゃないから、犯人は四年でシャバに戻ったりすることもあるんだ。一体誰が命拾いしたと言うんだ? この場合被害者が命拾いしたと言えるだろうか? 言えないね。本当に命拾いしたのは犯人だけだ。例え被害者が生き延びたとしても、本当はこういう犯罪者は永久に社会から追放されるべきなんだ。だけどそんなことは一向に起こりそうもない。以前作家のノーマン・メイラーが面白い話をしててね。こういう犯罪者を全員セントラル・パークに集めて一人ずつ公衆の面前で吊るし首にするべきだっていうんだよ。見せしめってわけさ。まあ、それはともかく、問題はこうした状況を誰も気に掛けてないってことなんだ。国民は税金をビタ一文も上げさせない。挙げ句の果てに今じゃアメリカの公立学校の質の低さは冗談にもならないほどだ。そして社会復帰を促す機関は皆無ときた。そして刑務所はいつも満員御礼だ。精神病院じゃ入院させられたとたんに退院させられる。で、刑務所からも精神病院からも追い出された人間は何処に行き着くと思う?ストリートだ。そういう人間は何処に置き去りにされると思う?ストリートだ。アフター・ケアは? ゼロだ。で、その後はどうなるんでしょう? 開けてびっくり、おめめパチクリ、というわけさ。だからね、もしある社会を壊滅させようと目論むんだったら、現代アメリカ社会の歴史をただなぞればいいんだよ。それが一番有効で確実な方法のはずさ。」

・ところで、「ニューヨーク」の中ではマイク・タイソンについても触れていますが、彼とは結構、隣近所に住んでいるわけなんですか?

「うん、同じビルに住んでいるよ。いや、女房の方だったかな。」

・じゃあ直接、マイクを知っているわけじゃないと。

「握手ならしたことがあるよ。手の大きさが俺の頭くらいあったんだぜ。」

・モハメド・アリには会ったことがあります?

「ああ、あるよ。アムネスティのツアーの時に会ったんだ。その時、写真にサインなんかして貰ってさ、だけどあれは本当に悲しい出来事だったなあ。仮にもあのアリだったんだぜ。昔はあいつがただいるだけで人だかりができたものだった。そのアリに会ったわけさ。それがなあ・・。とにかくアリに会って俺はこう言ったんだ、『アリ、握手をさせてくれ。俺はあんたのボクシング・キャリアにおける偉業や徴兵拒否事件のことで、あんたを凄く尊敬してるんだ。』ってね。何と俺はあのベトナム戦争当時のアリの徴兵拒否事件をのことを持ち出しちゃったんだ。でも、無理はないだろう?もしあの時、徴兵を拒否してなかったら、アリはタイトルも剥奪されなかっただろうし、エキジビジョン・ショーなんかもガンガンこなして大佐くらいにはしてもらえたはずだぜ。それをあいつはガンとして拒否したんだからね。ま、とにかくそこで俺は『あんたに会えて光栄だ。』と言ったんだ。そしたら、アリはこう答えたんだ。『俺は誰でもねえ、俺は誰でもねえ、俺はただの能無しだ、何もできやしねえ、俺は誰でもねえ・・・』ってさ。俺は叫んだよ、『何、バカ言ってんだよ、あんたはモハメド・アリじゃねえか』って。今でもアリが俺にとっては、あの『モハメド・アリ』であり続けていることには変わりはないんだけれど、でも、本人にとっちゃ、もう自分は、『誰でもねえんだ』ろうな。俺はね、凄いボクシング・ファンなんだ。それだけにアリには色々と夢を見させてもらったし、また自分で自分の道を開くということも見せてもらったと思う。アリは自分で正しいと思ったことに対して立ち上がったやつなんだ。そう思っているわけだから、俺はアリの演説や大学での講演とか、そういうものをビデオ・テープまでたくさん持ってるんだぜ。アリが群集を引っ張っていったあの姿を俺は一生涯忘れないだろうよ。凄いもんだった。それをあいつは自分一人の力だけでやってのけたんだ。」

・最後の質問ですが、結局、「ニューヨーク」という作品は八十年代を象徴する物事で満ち溢れていると思います。そのせいで十年、二十年先のリスナーには理解しにくいものになると考えたりはしませんか?

「いや、考えないね。というのはある一つの時代にのみ根差しているような題材はすべて今度の作品から外してあるからなんだ。そういうことは俺だってちゃんと考えたんだぜ。この作品の中にはね、この先古いニュースに成り果ててしまうようなものは一つもないんだ。だから、この作品の中で描かれている出来事が将来、単なる歴史的事実に成り果ててしまうなんてことは俺は少しも心配してないんだよ。俺が本当に心配しているのはね、この先十年経っても、きっと『ニューヨーク』の中に描かれた出来事が依然として行われているだろうし、人々の受け取り方も何も変わってないだろう、ということなんだ。これが俺には一番心配なことなんだ。」